レーの洪水の現地報告

インド北部、ラダックの町レーとその周辺で8/5に起きた鉄砲水(豪雨)についての情報を探しています(行こうかなぁと思っていたので。。)

インド旅行に関する掲示板 IndiaMike に、非常に秀逸なレーからの現地報告があったので訳出しておきます。拙い能力ですので足らないところはご自分でどうぞ。
http://www.indiamike.com/india/ladakh-and-zanskar-f31/dozens-killed-in-leh-cloudburst-flash-floods-t114855/8/#119

レーの洪水の現地報告 (First-hand account of Leh floods)

今日【8/8。大雨の降った2日後。訳者注】私は、レーからデリーへの飛行機に乗ることができた。ネットの接続はずっと制限されていて返事できなかったがレーで何があったのか現地を直接見た情報を共有したいと思う。

豪雨が降り始めたのは、8/5の夜中12:30頃【8/6未明。訳者注】からだった。私は、レーの町のゲストハウスに宿泊していた。雨の降り方があまりにも激しかったので、初めは「ひょう」が窓を叩いているのかと思った。表の通りで誰かが叫んでいるのがまもなく聞こえた。私は懐中電灯を手にとって、(レーのその辺りでは電気が来ていなかったので) バルコニーに出て自分のゲストハウスの1階を見ると、そこらじゅう水びたしになっていた。私は隣人と一緒に宿の主人を起こしに行き、他の宿泊者に、危ない状況を警告して回った。宿の主人と家族たちは気が狂ったように金属板や砂袋でドアにバリケードを築いて、建物の中に水が入ってこないようにし始めた。

水位が上がり始めてきて、私たち旅行者は雨の降る暗闇の中で急いで重要な持ち物を片づけ始めた。隣人達は私たちに「宿の外に出ろ」と叫び続けていたが、その時にはどうしてそんなことを言うのか理解できなかった。私は鉄砲水の中で直感的に、できる限り上の階に登らなければと思った。次の日になってようやく理解したのだが、ラダックの家は大抵、このような豪雨に耐えるように建てられてはいないので、隣人達は屋根や家そのものが崩壊するのではないかと恐れていたのだった。水は、通りの深いところで4フィート(1.2m)、雨が止む前にはゲストハウスの中で2.5フィート(75cm)程の深さがあったが、雨が止むと水位は下がり始めた。地元の住民達はこの75年間でこのような雨は見たことがないと言った。

翌朝になって初めて、荒廃の範囲が徐々に明らかになってきた。店はすべて閉店で、人々は群れになって、泥流で破壊されて最もひどい被害を受けたバス乗り場を目指して動き始めていた。私が昼前にバス乗り場につくと、4台のブルドーザーが残骸を除去するために稼働していた。そのそばで数百人のボランティア(地元民とたくさんの旅行者達)が、生存者が泥の下に埋まっていないかどうか期待しながら、人々が鎖をなして泥を手作業で取り除いていた。残念なことに私が作業していた時には、死体しか掘り出せなかった。

いくつかの道路が泥と残骸で埋め尽くされていた。空港は閉鎖され【8/7に再開。訳者注】、電気も停電で、携帯電話については1社のみしか機能していなかった。しかし町の大部分はほとんど被害を受けておらず、旅行者たちは町をさまよい歩いて、開いているレストランを探してはグループ間で情報を共有して回っていた。金曜【大雨のあった日である8/6。訳者注】の午後には、サイバーカフェが何店か開店し始めたが、通信が衛星を経由するため、通信速度はとても遅かった。

初日(8/6金曜日)は、レーの町で政府の軍隊がいるような兆候はほとんどなかった。(私が行かなかった病院や臨時遺体安置所などの場所には居たのかもしれない)当局や組織による目立った救援活動がなく、噂や不安が溢れた。金曜の夕方、山際が雨雲で陰り始め、また大雨がくるという噂が広まった。人々はパニックになり、高い場所を見つけようと走ったり車で移動し始めたりした。どうしてそうなったのかは簡単に理解できる。夜になるまでの死者の数を聞いて人々の神経は粉々になっていた。

8/7土曜日【大雨の翌日。訳者注】、レーやチョグラムサル【レーの南にある町。チベット難民が多く暮らす。訳者注】にニュースメディアが到着し、救援物資や前日よりも目に見えて多くの軍隊がやってきた。しかし今日(8/8日曜日)までに、町の中で人々が助かったというニュースはほとんど出てきていない。レーにくるトレッカーは、泥の中に地元民の死体を見たと報告する。私は、死者数がかなりのものになるのではないかと心配している。

【その他トレッカーの足止め情報について。中略】

今月【2010年8月。訳者注】にラダックに旅行に行くことを考えている人達のために、私が聞いた最も楽観的な見通しを言っておくと、あと7〜10日でマナリへの道が開通するとのことである。これは、もう雨が再び降らないということを意味している【あくまで筆者の楽観。訳者注】もし雨が再び降るのであれば、レーの町でさえ完全に安全であるというわけではない。空港は今日開いたが、レーを離れようとする人たちでもみくちゃになった。これはラダックの経済に深刻な打撃を与えるだろう。もし将来、道路【レー・マナリロード。訳者注】が開通し、状況が安全になるのであれば、ラダックの人々は旅行者の再訪を受け入れるに違いない。

最後に、社会的、経済的に壊滅的な被害を受けたラダックの方々に心よりお見舞い申し上げたい。ラダックは素敵な人達のいる素晴らしい場所だ。