Phong Tho→Muong Lay撤退 (9/29〜30)

Phong Thoを出ると、道は川沿いに辿っていきます。標高も低いので日差しもきつくてとても暑い。この日だけで大分焼けた気がする。おおむね道は下り調子で、比較的漕ぎやすい。
このあたりは田んぼも畑も少ない。どうやって生活してるんだろうね。2〜3才くらいの子供たちは真っ裸でわいわい遊んでいて、日本も大昔はこんな感じだったんだろうなぁという気がした。
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川沿いの狭い耕作地での棚田の例。川沿いではあんまり数はないのですが、ほのぼのします。
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この川では、途中何か所もダム工事を行っている現場がありました。"MW"(メガワット)という表示があったので、電力需要対策かもしれない。ダムへの工事車両を通すための高規格道路もひたすら作っていて、結構大変なことになってます。
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そんな中でも、住民の素朴な生活は地味に残っていて、下の写真はそんな住民の家の典型例。ターイ族の高床式の住居。こんなのを見ると原始的な感じがするけど、衛星テレビを見るためのパラボラはほぼ標準装備、家によってはこの家の周りをコンクリの塀で囲って立派な鉄製の玄関までつけてる(!)なんだか変な家もありました。意外とリッチな生活してるのかもしれない。
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途中河を外れて支流をたどる。このあたりの食堂でお昼ご飯。おばちゃんに「ミネラルウォーター(Nuoc Suoi)くれ」といったら、その辺りでくんだ水を満載したやかん出してきた。ま、間違いじゃないけどね。。
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お昼ご飯を食べてた時の会話。
「どっちいくの?」
「南のほう(と指さしてみる)」
「なら大丈夫かもね。自転車担げば(ってジェスチャーしてくる)」
へ? どういうこと?

いやな予感したけど、しばらく漕いでいたら下の写真みたいなポイントに到着。男たちがわらわら出てきて、手で大きく×印を作ってくる。
「なんで? なんで?」と聞いてみたら、手で大げさに何かが崩れるようなジェスチャーと、首を切るようなジェスチャーしてくる。どうもこの先土砂崩れで、そのために人が亡くなったらしい。何人かが「担いで行け!担いで!」みたいに行ってくれたのだが、担ぎ出そうとしたところでリーダー格の人が「ダメだ! 来た道を戻れ」とあっさり拒否。
サパから150km。ここまで一本道。迂回路なし。バス移動できるようなポイントまで80km戻らないといけなくなってしまった*1。がっくり。言葉が通じてれば事前にある程度情報収集ができてたはず。この通行止めはさすがにかなり悔しかった。
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その日80km戻るのはしんどいので、30kmくらい気合いで来た道を戻って小さな宿へ。あまりに腹が減ってたので、なんか食べたくて宿の姉ちゃんに「ご飯(Com)かフォー(Pho)ください」といったら、「Com, Phoだね。わかった、コム、フォー、コム、フォー…」と厨房の奥から「コンフォート(Comfort)」という洗剤だしてきた。

ありえねぇ。そんなもん食えるわけないぞ。。

「ちがうちがう、なにか『食べたい』の」

と笑いながらいってたら、姉ちゃんブチ切れて、自分の部屋に消えていった…。ごめん、そんなつもりじゃなかったんだけど。。

サパを越えてからは言葉がまともに通じないこともあって、ひたすら失敗の連続。他にもこのあたりは、上に書いたダム工事の影響のためか、ある場所の地名を他の場所の地名と取り替えてしまうようなことを頻繁に実施しているらしく、そのため地図に書いてある地名と実際の地名が違う*2。実際、大抵の地図でLai Chau となっているところは、現在Lai Chauではなく、ホントのLai Chauは道をSapaの方に80km辿ったところにある。手元の地図には混乱の形跡がのこってます。

もう意味がわからない。日本文化のルーツを辿るとか、大それた目標はどこへやら。

次の日50km漕いで Lai Chau まで戻り、そこから夜行バスで一気にハノイまで輪行七転八倒ベトナム北部山岳旅。大失敗の馬鹿旅行でした。。

*1:徒歩であれば通過できたらしい。そのためその先の集落から歩いて来た人が何人もいた。

*2:参考:http://www.vietnamspirittravel.com/laichau.htm 多くの町がダムによって水没するので、かつての町の名前とは違うの名前になっているので旅行者は注意せよと書いてある。